「顔を洗う」
先日、人相の記事を書いた。
朝起きればほとんどの人が顔を洗い鏡を見るだろう。
何事も無く目覚めたことに感謝をする。
そして、もう少し・・命の姿を感じたいのであれば、
なぜ目は横に2つ、鼻は縦に一つなのかまで考えが及ぶと良いだろう。
口は鼻の下にあり、味覚と嗅覚を感じることが容易で、
耳は邪魔にならないよう側面にあり、音を逃さないような作りである。
例えば昔の偉い仏僧はこういう一つ一つのことを
宇宙の営みの一つとしてとらえ感謝の心を持ってきた。
これを仏祖の命脈という。
もしも目が後ろについていたら、
口が額にあったらみなさんどうだろうか。
実は当然だと思うほとんどのことは
何億年を時を積み重ねてきた、
進化という宇宙の営みの奇跡である。
「命を感じる」
このような教えは先人の知恵であり、
語り継がれてきたことは不変の真理でもあると思う。
昔の賢人は科学的根拠がなかったからこそ、
宇宙の森羅万象を色々な側面から考え
悟りをひらいてきたのだと思う。
仏祖の命脈と言ったのは道元禅師である。
母方の墓があるお寺は曹洞宗なので
道元様のことは昔からなんとなく身近に感じている。
私の子供たちも偶然であるが、
曹洞宗のお寺が運営している保育園へ通い、
卒業もしているし、二男三男もお世話になっている。
長男は市内で一番大きい公民館で催されたお遊戯会で
道元禅師を任され、堂々と演じていたが胸に来るものがあった。
そういえば母も曹洞宗の保育園で育っている。
少しでも立派な人間になりたい、
自分を磨きたいと思って
道元禅師の言葉を読み漁ったこともある。
だから、縁を感じる。
一人一人が命を感じること、
これからも仏祖の命脈を少しでも紡いでいきたいと思います。
尊い命に感謝。